僕の人生を決めた、あるいは狂わせた、ひとこと。 誰もが頭では分かっているにもかかわらず、 本気で考え抜き、死に物狂いで実行しようとする人は少ない。
その言葉を言い放ったのは
北米先住民、いわゆるインディアンの一人の男。
それ以来、僕の夢は
「インディアンになること」になってしまった。
僕が師と仰ぐKeith Wolf Smarch。
カナダ・ユーコン準州に暮らす、トーテムポールの彫刻家だ。
「この森は、五百年前は草原だったんだ」と
遥か昔の景色を、昨日見たかのように鮮やかに語り、
「この木の葉がこんな風に揺れているから、そろそろ雨が降るぞ」と
当たり前のように言い当てる。
僕が何度斧を振り下ろしても
割れないぶっとい薪を、一発で割ってしまう。
小気味良い音を立てて、左右に跳んでゆく半円の薪を見て思った。
“カッコイイ”って、こういうことだよな。
60歳を超えた今も、一族が食べる肉は
家長が獲る、という考え方の元に
山で野宿しながら、ヘラジカ、
オオツノヒツジ、シロイワヤギを撃ち、
-20℃を下回る中、オオカミ、
オオヤマネコ、ビーバーを罠にかけるKeith。
幸運にも彼と出会い、彼に会いにユーコンに行くようになり、
その度に、狩猟に同行してきた。
「ヘラジカは、二頭獲れば家族が冬を越せる。 それ以上、ヘラジカを撃ってはならない。」
「撃ったからには、泣くな。 肉は皆に喜びをもたらすもの。 必要以上の悲しみは、命をくれた獲物に失礼だ。」
「獲物にまだ息があれば、 30分は近づいてはいけない。 獲物が自分の死を受け入れるための時間を 彼らにきちんと与えてあげなさい。 その間、お前は命をくれた獲物のために祈るのだ」
大地に根ざした巨木のような言葉。 いちいち、心に突き刺さる。
狩猟の中で、Keithが最も大切にしていることがある。 撃った獲物を解体した後。 喉から気道を取り出し、風通しの良い枝に刺すのだ。 そして感謝の祈りを捧げる。
「今、あなたはもう息ができなくなってしまった。 でもこの気道に、山の風が吹き通るように、 あなたがまた息ができるようになり、 新しい命を授かりますように。」
僕が自分で狩猟をするようになっても、 気道を枝に刺して獲物に祈る儀式は 欠かしたことがない。
そして彼らが生きられなかった命の分まで 責任を持って生きる。
いつの日か僕も、本当の意味での人間、 「大地の一部、水の一部」になる。
僕の人生は、そのために、ある。
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